常に同じ感覚でありたい。
間も無くオーダー受付を開始する。直前のタイミングであるが、どうしても書いておきたいことがある。オガワの完全な自己満足であり持論だ。一気に書き進めよう。
多種多様なラインナップを誇る専門ファクトリーであれば珍しいことではないかもしれないが、年間わずか数点のプロダクトしかリリースしない「Original Garment Brothers」において、同じ素材、同じデザイン、同じサイズのウォレットを「ミシン縫い」と「手縫い」でリリースすることに疑問を感じるブラザーもいるかもしれない。
ウォレットは日常生活において「使ってなんぼ」のプロダクト。使いづらいウォレットを、私は欲しいとは思わない。作ろうとも思わない。奇をてらった独創的なデザインは、ファッションアイテムとして、一時的な満足感を満たすにはいいかもしれない。
だが、必ず飽きる。必ず、使わなくなる。
感じ方は人それぞれ。それゆえ、先ほど「自己満足」「持論」と書いた。あくまで、オガワの場合の話だ。
ロングウォレットにおいて、もっとも使いやすく、もっとも手に馴染むのは、直線で構成されたウォレットしかないと勝手に信じている。言い換えれば、直線で構成したウォレット以外に、多くの人々の手に馴染むウォレットを作る自信がない。
手の大きさは、大小、長短、様々。ウォレットに作り手本位の特別な意匠を盛り込めば、その瞬間に「合う手」「合わない手」が生まれる。
さらに、バックポケットのウォレットを取り出す時、私は後ろを振り返り、バックポケットに目を落とし、ウォレットの位置を確認して取り出すようなことはしない。
無意識のうちに右手がバックポケットに伸び、ウォレットを掴み、バックポケットから抜き出す。無意識のうちに、だ。
なぜ無意識のうちにウォレットを取り出せるのか。それは、何百回、何千回、何万回と繰り返される同じ行為において、常に己の手が感じる感触が同じだから……と、これまた勝手に推測している。
それを実現するのが、直線で構成されたシンプルなウォレットだ。
もし私が、「Original Garment Brothers」だけのオリジナリティを演出しようと、デザイン的なアールや装飾パーツを付けてしまったら、ウォレットを掴む場所によって感覚は異なってしまう。毎回異なる感覚は、やがてストレスになる。
オガワが考える理想のウォレットとは、どの部分を掴んでも、目を閉じて掴んでも、同じ感触でなければいけない。ゆえに、直線で構成されたシンプル極まりないウォレット。
これしかないのだ。